自己紹介

スタートアップ社長からニート、そして自由なフリーランスへ|自己紹介・学生編

最初の記事は、このブログを書いている人はスタートアップでの社長も経験している様だけど、どういう人なのか、と気になる方もいるかと思ったので、棚卸しも含め、自分についての記事を書きたいと思っています。

自己紹介、前半のこの記事では、主に学生の頃の話を書きたいと思います。

思春期真っ只中な中学、高校生時代

中学生、高校生時代は、ってそこから?と思うかもしれませんが、軽く触れるだけですのでご安心ください。あまりいい学生ではなかったと思います。自分が親でしたらボコボコにしてやりたいと思うかもしれないくらいに。何か社会に刃向かってばかりでした。

プレッシャーに弱かった自分は、高校受験の数学試験で、ほとんどの人が解けるような最初の方に出てくる問題を読み間違えて解けず、そこで時間を使ってしまい、焦り、結果失敗に。これが人生で最初の大きな失敗だったかもしれません(それまでに大きなチャレンジをしてこなかった、という感じでもありましたが)。

高校生時代は偏差値20台の友達もいました。現役生の時の大学受験は、受験シーズンに目の病気で入院することもあったりして、それらを言い訳に逃げる形で浪人を選択しました。

浪人時代はゲーセンで遊び放題、願書も出し忘れる最低なやつ

浪人時代は、ほとんど勉強しなかったです。夏期講習もとらずに、ゲーセンとかで遊んでばかり。当時、スパイクアウトというゲームにはまってました(分かる人には分かる、とても面白いゲームです)。

さらに極めつけは、第一志望の大学願書を出し忘れる、という馬鹿なことをしたりと(他よりも締め切りが早かった、というのもあるのですが、まぁ、普通は出し忘れません)。自分が親だったらほんとぶっ飛ばしたいですね。

ただ、これが自分の人生の中でのターニングポイントの1つだったのかなと思っています。

第一志望の代わりに受けた挑戦校にしか受からなかった

願書を出し忘れた大学が自分の志望校でもあり、挑戦校でもあったのですが、そこが受けられなくなったので、同じ日程で、同じくらいの挑戦校を探さないといけなくなりました。

自分は化学専攻だったのですが、化学で受けられる同じようなレベルの大学がなかったので、化学でも受けられる、生物専攻の大学試験を受けることにしました。

大学受験の結果は、挑戦校である、生物専攻の大学しか受からなかったのです。おさえも全て落ちました。挑戦校はたまたまバチッと試験問題がハマって解けた、という感じでした。この大学に行けた、というのが自分の人生の中での大きな転機、となりました。

大学には医学部受験に失敗した優秀な人ばかり、人生初めて勉強に目覚める

自分が奇跡的に入った大学は、医学部の受験に失敗して、医学部を諦めた、という優秀な学生が多い大学でした。そして留年率が3〜4割と留年する人が多い大学でもありました。

私は期末試験の時に、周りの皆の「まだ全然試験勉強してないよ(実はガッツリしてるけど)」という言葉を真に受けるタイプでして、試験勉強をほとんどしていなかったら、あれよあれよと単位を落とし、留年筆頭候補になりました。

周りの友人は私が留年することを確信していましたが、さすがに留年はイヤだ(浪人して留年なんて、親に申し訳ない)と思い、冬休みに朝から晩まで図書館にこもり、勉強しました。生まれて始めて勉強したな、という感じでした。大体1日12時間以上は勉強していたと思います。大学生なのに笑。

当時は片道2時間かけて大学に通っていたのですが、(都内の)電車の中で2万円の1,000ページ以上ある教科書を開いて勉強していたことも覚えています。

大学院に挑戦、行きたい研究室と運命の出会い、1日17時間以上勉強する

生まれて初めての猛勉強?の甲斐あって、無事に試験を突破することが出来た私ですが、そうなると勉強が楽しくなってしまい、生まれて始めて勉強にのめり込む、ということを経験します。私は理系だったので、大学院進学も決めていたのですが、こうなると、上の大学に挑戦したくなるものです。

とはいえ、どこでもよい、というよりはやりたいテーマは決まっていたので、いろいろな大学院を見て回って、2つほど行きたい研究室を決めました。実は、一番行きたい研究室とは運命の出会いをしたと思っています。

とある大学で、大学院説明会に参加したとき、期待していたのですが、行きたい研究室は見つかりませんでした。ただ、せっかく参加したのだから、一番偉い人(専攻長)の教授と記念に話して帰ろうと思い、教授を捕まえて、自分はこういうことをしている、そしてこういうことが出来る大学院を探していた、と話したときに、教授が「実は数年前から我々も同じような研究をし始めた。まだ公には発表していないが。」ということを話してくれたのです。これは運命的な出会いだ!と思い、その研究室に入りたいと強く思うようになりました。

自分が学部で所属していた研究室は、試験休みが1ヶ月もらえる研究室だったので、その休み期間は、1日17時間勉強するという毎日を過ごしました。ご飯を食べているときも、お風呂入っている時も勉強、という感じでした。唯一の楽しみは、深夜寝る前に、趣味のサイトを数分見るくらいでした。

そして猛勉強の甲斐あって、無事に志望する大学院(研究室)に行けることが決まりました。

就職活動中に、起業の道を選ぶ

新しい大学院生活が始まり、1日12時間以上研究、という生活を送った半年後、就職活動期間に入りました。

就職活動時に、考えていたのは、圧倒的に成長したい、ということでした。それは、一番大変な環境に身を置くことだと思い、起業、経営者になることだと思っていました。ので、いつか起業を見据え、大企業よりはベンチャーに行こうと考え、数多くのベンチャーの説明会に参加しては、代表を無理矢理捕まえて話を聞いてもらってました。

とはいえ、ミーハー心もあったので、広告代理店、商社、なども見ていました。Googleも受けてみたく、ただまだ新卒募集はしていなかったので、当時Googleが入っていたセルリアンタワーで出待ちしたこともありました(その後、他のルートでGoogleの人事とはお逢い出来るようになったのですが、結局興味は持てませんでした)。

就職活動中、いろいろ活動していたら、ある大手商社に勤めるOGと出会うことになり、上記の様な考えを持っていることを共有したところ、であれば、今起業しちゃいなよ、という話になり、そういう学生を応援する人を紹介するよ、と言われました。で、いろいろありまして起業することになりました!

起業するも実力のなさを痛感

昼は研究(割と真面目に10〜12時間くらいは研究室にいたと思います)、夜は経営というスタイルでやっていました。ちょっとしたエンジェルさんにも投資してもらったりと。

が、徐々に、エンジェルの1人が態度を変えてきて、途中はなんとかくらいついていくものの、最後の方は大学院をやめるか、会社を渡すか、という話になりました。精神的にも追い込まれ、体力的にも厳しい状況で(昼夜動いていたので、寝る時間もなく)、毎日吐きそうになるくらいに追い込まれてました。

自分の実力の無さを痛感したときでもありました。また、その時に誰とやるかは非常に重要だな、と強く思いました。最終的には代表を辞任し、株も全部渡し、再スタートすることを選択しました。

ただ、振り返ってみると、この時に地獄を見た気がしたせいか、その後の人生で、これより辛いことはない、だからどんなことでも乗り切れる、と思える様になりました。また実力の無さを痛感出来たため、這い上がろう、と強く思えることが出来ました。

DeNAに飛び込み、南場さんを待つ

修士2年の2月か3月に、実験で4時間待ち、ということがあったので、そこで就職活動中に一番入りたかったDeNAに行き、話を聞いてもらおう、と思いたち、アポもとらずにDeNA本社に向かいました(誰か知っている人が歩いていたら捕まえて話をした方が早い、と思ったんだと思います)。

就活中は笹塚にあったので、向かったのですが、移転した、ということで、全速力で初台に向かいました。ガーン、まさか移転しているなんて、タイムリミットがあるのに、という感じで。道に迷いながらも、受付に到着し、アポはありますか?と言われましたが、当然アポはなく、これこれこういう者ですがとにかく人事の人に会えないか、と話をしました。

そして待っている間にチャンス到来。当時の代表取締役社長である南場さんが偶然現れたのです。すかさず声をかけて、これこれこういうものですが、面接のチャンスをもう一度いただけないか、という話をしました。実は南場さんとは就活中の最終面談でお逢いしていて、向こうは覚えているよ、と言ってくれたのですが(多分、嘘かなと思いつつ笑)、その後、蹴りをくらって(あ、今の時代は良くないですね。御蹴りをいただきまして)、人事に話をしてくれる、ということになりました。

で、出てきたのが、人事責任者のMさんで、後日もう一人の当時の取締役、川田さんとの面談を組んでくれる、ということなりました。当時、就職活動中での川田さんの面接はやや圧迫雰囲気があり、フェルミ推定に似た様な問題を出してくる、ちょっと緊張感のあるものだったので、気合いを入れていこう、と思い、面接に望みました。

面接当日、部屋で待っていたら、川田さんが、「失敗したの?どんな事業やっていたの?」と満面の笑みで入ってきたことを覚えています。自分の事業に興味をもって聞いてくれていました。その後人事責任者のMさんと面談だったのですが、これがちょー圧迫でした。Mさんは、中途半端な覚悟で来ていないか、確認したかった、ということだったのですが、それにしても今度はそっちが圧迫かい、という感じでした。

2人の面談が終わり、最後に南場さんに会ってもらうからまた後日来て、という話しになったのですが、その後、連絡をもらったときには「蹴りをくらわせたからもうOK(おっと、御蹴りをおくらわせになったので面談は不要)」、という答えで、晴れてDeNAの入社が決まりました。

DeNA入社以降の話は、以下の”社会人編”で書いております。

おまけ:優秀な人と一緒に過ごすと人生は充実する

偏差値20台の友人がいる高校から、優秀な人がいる大学、そしてとても優秀な人がいる大学院に進んでいくなかで気付いたことが、優秀な人が周りに多ければ多いほど、人生が充実する、ということでした。優秀な人は真面目過ぎて人生がつまらなそう、という言葉をたまに聞きますが、実際は全く違うと思いました。

優秀な人ほど勉強にも遊びにも一生懸命になるので、楽しいです。例えば、私の高校時代は、皆さんノリはいいのですが、ちょっとするとだるい、めんどくさい、という感じであまり大きなことはしませんでした。文化祭も同じだったと思います。が、これが大学、大学院だと、本気度が違うのです。何事にも全力投球、如何に盛り上げるか、に頭を使い、よく行動するのです。ので、大きいコトを、皆で協力しながらできるのです。

偏差値20台から70台までの友人を見てきた私だから言えることなのかなと思います。外から見ると微妙だけど、と思う人もいるかもしれませんが、それはあまり重要ではないと思っています。中に居る自分たちがどれほど充実感をもってやっているか、そういう経験をしているか、がとても重要だと思っています。

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