自己紹介

スタートアップ社長からニート、そして自由なフリーランスへ|自己紹介・社会人編

前回の以下の記事に続き、自己紹介記事として、社会人になってからのことを書きたいと思います。

基礎が出来たDeNA時代|初めての就職

広告営業、サービス立ち上げ、組織マネジメント、ソーシャルゲームの企画

DeNAでは、社会人の基礎をたたき込みたかったこと、多くの人に接していろいろな考えを吸収したいと思ったので、営業を希望しました。その後、元々興味があって、いつかやってみたい、と思っていたサービスの立ち上げを責任者として複数経験することが出来ました。更に、組織のマネジメント等を経験し、最後にソーシャルゲームの企画を経験して退職、となりました。

最初の営業部署では、入った時がピーク、それからダウントレンド市場、という環境でした。ダウントレンド環境に身を置いた方が考える機会が増えると思ったので、新卒は2年?3年?以内に絶対異動しないといけない、というルールがあったのですが、当時の上司にお願いして、ダウントレンド環境に身をおき続けることを選択しました。

自分ではちょっと長く居すぎたな、と思いましたが、そしてちょっと前の社長、守安さんにも「間違っている、新しいフィールドで機会を得た方がよい」と指摘されたりもしましたし、もちろんそれもあるかなと思いましたが、自分的にはこの環境で常に考え続けたことが今の1つの財産になっているかなと思えます。

とはいえその中で、新規サービスの立ち上げや、戦略コンサル出身の人と事業戦略を考える、という経験が出来たのは運が良かったかなと。まぁ、ぼこぼこにされましたが!

優秀な人が多い環境に身を置くのは良い|自分をどんな環境に置くのかは重要

学生時代は、自分もそこそこスゴい方だと思っていましたが、DeNAに入社してみると、同期にはもっとスゴイ人がたくさんいました。さらに運が良かったのか、自分がお世話になる周りにも優秀な人が多くいました。たしか今では、同期の2、3割は起業している、という感じではないでしょうか。

優秀な人が多いと、もちろんインプットが素晴らしく成長出来る、ということはもちろんなのですが、大きい目標で競争することが出来るので、現状に全く満足せず、常にはるか上を目指せる、その為に頑張れる、というのがあります。

私は、ちょっと前まで社長をやっていましたが、そこでも全く満足することなく、もっと高いところを貪欲に欲し、成長し続けようとしたのは、周りにスゴイ人がたくさんいたからだと思います。

高校から大学院に向かう過程でも思いましたが、やっぱり周りに優秀な人がいる環境、というのが人が成長するには本当に重要だと思います。そういう意味では、社会人として働き方の素地ができる最初の企業は、やはり優秀な人が多い企業、というのは良いひとつの選択肢だったと思います。

方針転換しエージェントを困らせる|初の転職活動

DeNAに6年間いましたが、新天地を求めて転職しよう、と思いました。6年間は結構長すぎたな、という印象です。

この頃になると既に結婚もしており、自分だけでは人生を決められない、という状況だったりもして、最初は優秀な人が多いメガベンチャーに行く、という方針を決めました。

第一志望はメガベンチャーのエムスリー、、、だったが

エージェントさんのススメもあり、医療業界が楽しそう、と思い、エムスリーに行く気まんまんになりました。エムスリーは論理的思考力を問う面接が多く、フェルミ推定をよく出してくる企業としても有名でした。私は論理的思考力がそこまで得意ではなかったので、かなり念入りに対策していたのを覚えています。

しかし、エムスリーの選考を進めるうちに「あれ、何か違うな」と思っていき、最終的にエムスリーは選びませんでした。内定者面談が面接のような雰囲気で行われたのを今でも覚えています。きっとお互い合わなかったのかな、と思いました。

ただ、あとで選考に関わった方から聞いたのですが、社長の谷村さんが「彼をとらなかったら誰をとるの?」と言ってくださったようで、これは本当に嬉しかったです。

ちなみに、合わない、というところでは、リクルート系の会社は全て選考に落ちました。多く言われたのは、芯が強そうで、組織にはマッチしそうにない、ということでした。無念。でも自分でもそう思いました笑。

スタートアップを見ていくと楽しそうで、そしてファーストリテーリングの副社長から、

いろいろなエージェントさんと会って話を聞くうちにやっぱりスタートアップは楽しそうだな、っと思い、また、実際にスタートアップの代表等とお会いしていくと、楽しそうだな、っと思うようになり、初期の転職活動が終わろうとしていたころに、やっぱりメガベンチャーではなく、スタートアップも多く受けてみよう、と思うようになりました。

それと並行していたのが、私の経歴とはほとんど縁が無い、ファーストリテーリング社の戦略人事コースでした。とあるエージェントさんから紹介された変化球ポジションで、面白そうだったので、選考を受け続けたのですが、最終面接で、確か、元ボスコンで、当時の副社長だった方とお逢いしました。

いきなりかなりの数で入ってきたので、ちょっとビックリしたのですが、相手はニコニコしながら「圧迫じゃないから大丈夫」と言われたのを今でも覚えています。その面接は30分の予定だったのですが、60分近く使って、面接をする、というよりは、「君は事業家タイプだから、人事ではなく事業側に行くべきだ、スタートアップに行くべきだ」と説得されました。こんな自分に後ろの予定をキャンセルして、60分も使ってもらえたのは、感謝でしかなかったです。

決断の時・スタートアップへ

スタートアップの方が楽しそうだな、と思っていたのもありますが、ファーストリテーリング社での面接?面談?もあり、スタートアップに行こう、という思いは強くなりました。

そして、最終的には行きたかった医療業界で、エムスリーの他に中規模スタートアップ、小規模スタートアップ、の3つの中から選ぶ事に決めました。どれも社会貢献性はあったのですが、最後の決め手は、規模によるチャンス(機会)、小さい方がいろいろ大きな課題がたくさんあそうで、成長機会がありそう、やりがいもありそう、と思い、一番小さなスタートアップに行くことを決めました。

医療系スタートアップへ|初の転職

結婚式の翌営業日、9、10名くらいのスタートアップにジョインしました。そこは想像と違い、社長が思った以上にワンマンでした。というよりも現場に驚くほど意思がない、という感じでした(DeNA卒業生がよく感じる大きな違和感の1つなのだそうです)。

メディアの責任者として入りましたが、いきなり営業部署の責任者になりました(ちょうど人がやめる、というところで)。まースタートアップならあるかな、と思ったので、頑張り、成果を出し、最初にやると思っていたメディア側も担当出来る様になりました。

肩書きも執行役員となり、そこは社外取締役以外、代表しかいなかったので(取締役は私がジョインしてスグに辞めてしまった)、実質的にNo2のポジションになっていました。

そのちょっと前くらいから、ちょっとずつ会社の黒い部分が見えるようになり(ブラック企業、というレベルではなく、漆黒の”黒”ですね)、それを改善するために、奮闘したのですが、変えられず、燃え尽きてしまって、1年10ヶ月、という短い間でしたが、転職する決意をしました。

この時、強く思ったのは、誰か1人でも一緒に力強く会社の黒い部分と戦ってくれる人その人をやる気にさせ動かせる、もしくはその人を見つけられる力があればな、という自分の力不足の痛感でした。

軸は一緒に頑張ってくれる同志が居るところ|二度目の転職活動

会社を大きくして、世の中に貢献したい、という様な、同じ志を持った人と一緒に働きたい、と思いながら2度目の転職活動を始めました。

転職活動中に、とある逆境環境でやっている、まさにペイパルマフィアのドン、ピーター・ティールが言う、『賛成する人がほとんどいない大切な真実』に気付き、立ち向かっていると思えた企業に出会うことができました。

たぶん、その時点では、紹介されたほとんどの人が魅力ない会社、と思っていたのではないでしょうか。ただ、だからこそ実はチャンスがある、と強く思えたのです。また、そこで目指せるイノベーティブな未来は自分にとってとても魅力的でした。

社員は2社目と同様に、10名弱、ちょっと古そうな体質の会社、というのはなんとなく入る前から分かっていました。ただ、この会社には、一緒に戦ってくれそうな、ベンチャーマインドを持っていた人が1人だけですがいたのです。

彼と一緒なら会社を変えられそうだ、と思い入社を決意しました。

気付いたら社長に|人の追い出しなどもした3社目のスタートアップ

3社目は思ったよりも、、、はるかに大企業体質でした笑。平均年齢45歳、スタートアップとはほど遠い中小企業感が漂う企業でした。やっていることはスタートアップしか出来ないこと、だったのですが。赤字の会社でしたが、大体社員は10時過ぎに来て、19時前には帰り始める、という余裕のありすぎる会社でした。

この体質を変えるため、早期に営業に首をつっこみ、自らも売上をあげ、人を獲得出来る体力をつけ、スタートアップ人材の獲得に注力しました。誘うときには、スタートアップではなく、中小企業体質だけど、一緒に変えよう、と誘っていたのですが、入った人は、まさかこんなスタートアップ感がないと思わなかった、と言いながら辞めていきました。

原因は『人』にありました。そして、私の同志だった戦友もついにやめる決意をしてしまうのです。この時、人生で初めて人が辞めるときに涙を流しました。他の主要メンバーも、その人問題でやめそうで、このままでは会社が終わってしまう、と思った自分は、初めて人の追い出しをしました。当時は自分よりも上のポジションだった人を追い出そうと決意したのです。

最初は皆応援してくれるのですが、当然追い出される側も抵抗します。となると、人数も少ない会社なので会社の雰囲気はあっという間に悪くなり、周りの人もそっぽを向くようになり、時にはこちらに攻撃してくるまでになりました。が、戦友を失った私は、もう2度と同じような過ちを繰り返したくない、と信念をもって全精力を注ぎ、やり遂げました。

追い出しをしたその後は、自ら戦略を0から立て直し、組織も再編成し、業績も伸ばしました。そうなると皆手のひらを返したように喜んでくれるのですが、、、おいおい、という感じですね笑。

気付くと億の利益も出ており、従業員数もかなり増え、いつのまにか社長になっておりました。が、それから2年弱経ったとき、私にとってとても大きなライフイベントがあり、また私自身がその会社で果たす役割も徐々に小さくなっていたのもあり(主要メンバーを自ら獲得し、業務の多くを渡せていた)、良いタイミングだと思い、退任、退社を決意しました。

今はニートで子供との時間を楽しみ中

会社を辞めた後、私は”ニート”になりました(なんか言ってみたかったこのセリフ)。

今は子供との時間を楽しんでいます。大きなライフイベントも少なからず影響し、この年齢になり、初めてロードバイクを買う(あのハンドルがくねってしている自転車です)、ということもしました。一時期はほぼ毎日1時間〜1時間半、自転車をこいでいました。今でも週1、2はそのくらいの時間載っています。自転車こぎながら、BTSの曲を聴き、頭を縦フリしています。調子が出てくると歌って、たまに人に変な目で見られたりもしています。

でも、もうそろそろ、やっぱり働こうかなと思っています。やっぱり仕事は好きなので、働きたいなと言う欲求が出てきて、、、そろそろフリーランスとしてまったり活動しようかな、という感じです。

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